汗かき教師修行 10年 北海道にて② モエレ沼公園 忍者ブログ
〜本物は続く 続けると本物になる〜
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モエレ沼公園にいった。
モエレ沼公園は,札幌の郊外にある公園である。
もともとゴミ処理場だった場所を,イサムノグチという芸術家が「公園全体が彫刻である」というコンセプトのもとに作った公園である。

このイサムノグチという人物をうちの妻がめっぽう好きで高松にあるアトリエまで見に行ったほどである。僕も,そのアトリエに行ってからのファンで,北海道に行ったらぜひモエレ沼公園を見たいと思っていた。

モエレ沼公園に入ると,名前の由来になるモエレ沼をわたる橋を通っていく。
モエレとはアイヌ語の「モイレ・ペツ」(ゆったりした川の流れ)に由来するらしい。その名のとおり,時間を忘れさせてくれるような,悠久の流れを感じてしまう。時間の感覚がくるってしまうという感じだろうか。自然に囲まれていることもあって,とにかくゆっくりゆったり過ごしたほうがいいなぁという気分にさせられた。
中に入ると,まず目に入るのが二つの山。モエレ山という小高い丘と,ガラスで作られた人口のピラミッド「HIDAMARI」。二つの山が並んでいることに,イサムノグチの何らかのメッセージを感じざるをえない。

イサムノグチが,「モエレ沼は彫刻のある公園ではありません。公園全体が彫刻のなのです」言ったように,人工的に作られた彫刻群と,自然が作った風景が調和していたり,あるいは反発しあったりしながら,とにかく見る人にいろいろな解釈をもたらす一つの芸術作品に仕上がっている。

「やっぱり,イサムノグチは西洋の人なんやね。自然と共生しているというか,むしろ自然を支配しようという気持ちがこの公園から感じられるねんけど」
義弟がそんな感想を漏らす。森のあり方なんかを見ると,確かにそういう感じも受ける。
僕はむしろ逆の感想を持った。色々な人工物を配置している。しかし時間とともに,自然は成長し彫刻としての公園を日々変化させていく。一時的に支配されたかのように見える公園は,時間とともにやはり自然の驚異的な力で飲みこんでいく。そのとき,彫刻も,訪れている人たちも,そこにある自然もすべて調和して,ひとつの彫刻作品を作るのではないか。そんな感じがした。
イサムノグチが
「公園が本式になるのは30年かかるとはじめてわかった。
 人間はある程度までしかできないことがわかった。
 完成するのは人間ではない。自然が自分でやるのです」
と語ったのは,そういう意味なのだと思う。

モエレビーチという水遊び場では,子どもたちが水着姿で遊んでいる。札幌にしては暑い日だったので,たくさんの子たちのはしゃぐ声が聞こえていた。
モエレビーチを眺めていると,ビーチを囲む木々の間から原色の濃い遊具が見え隠れする。
「なんかあるよ!」
と走り出す子どもたち。それにつられていくと,滑り台やブランコなどの遊具がある。
「サクラの森」という遊具を置いた公園だった。

「子供たちはひとしきり遊ぶと飽きる、しかし、森の中に違う遊具が見えて、またそれに向かって走り出す。
そんな光景をイサム・ノグチは思い描いていたようです。」

と説明にあるとおりの反応を前述の子どもたちは見せていた。
「あっ!あっちにもなんかあるよ。」「おもしろそう」
といってかけだす子どもたち。イサムノグチが思い描いた通りに,子どもたちが誘導されている。芸術家の手のひらで踊っている感じが面白い。

ところがこの遊具。彫刻としておいてあるだけなので,使い方がわかならいものもある。
「なんだろう?」
と考えた子どもたちは,そこからいろいろな解釈を導き出していた。
ジャンプして飛び越える。鬼ごっこに使う。蛇に見立てて?戦う。落ちないようにしがみつく。ピラミッドを乗り越えるべく体当たりする…。
子どもの発想力というのは本当に面白い。滑り台や,ブランコなど使い方のはっきりしている遊具よりも,なんだかよくわからない解釈の余地のある遊具のほうが,子どもたちはその用途を変えて長いこと遊んでいた。そして,一通り遊び終わって飽きてしまうと,また木々の間から見え隠れする次の遊具へとかけていくのだ。

芸術というのを僕はずっとわけがわからずにいた。絵を見ても彫刻を見ても,「この作者は何を考えていたのだろう」「この色遣いはこういう意味があるのかな」「これは~時代の作品で,こういう特徴があるのか」
そもそもそんな素養がないのだから,頭で解釈しても何にも分からない。本当は芸術を解釈するのには「身体」で感じなくてはならないのだ。
モエレ沼公園そのものが大きな一つの彫刻であるという。確かに,ひとつの芸術作品として「身体」に訴えかけてくるものがあった。そして,この訴えかけてくるものを解釈するのは,あくまでそこに立った一人一人なのだと思った。イサムノグチの意図や考えを想像するのも,ひとつの知的な遊びとしては楽しいと思う。ただそれだけではない。ここの公園をデザインしたのはイサムノグチかもしれないが,実際に今も作っているのは,ここにきている一人一人の人間である。その人たちが,この公園から何を感じるか。どう解釈するか。それは,見る側,感じる側の自由なのだと思う。
イサムノグチが配置した遊具。イサムノグチの意図どおりに動いていく子どもたちと,その意図を超えて,自由な解釈でぶつかっていく子どもたちと。
ものごとを解釈していくのは,あくまで学習者としての僕らなのだと実感した。

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