汗かき教師修行 10年 自分の原点⑤ 自信を持つということ 忍者ブログ
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 「なぜ教師になったのですか?」
 僕は,このコメントに対する返事として,
 「たけし軍団に入れなかったからです。」
 という答えすることにしている。
 正直,なめた答えだなぁって思うけど,事実だから仕方がない。
 でも,やはりここいらで自分自身の原点というものを見つめなおす必要があるように思う。
 自分流の教育というものを作っていくには,自分自身の原点というのを見つめなおす必要があると思うからだ。ということで,少し自分を振り返って,自分の原点を考えてみたい。
 そんなことは,自分ひとりでやればいいことで,人様に見られるのは,大変恥ずかしいことなのだが,まあ,それはそれとして自己開示してみたい。気持ちが悪い行為なので,スルーしてくださればありがたい。

 しかしまあ,「よくもまあ,こんな恥ずかしいことをやったなぁ。」って,今さらながらに思ってしまうなぁ。(^^ゞ
 万人が読むブログに,こんなに自己開示する必要もないし,読む人も気持ち悪いと思うのだが,おかげさまで,自分の原点というのがよく見えてきた。
 つまり,僕という人間は,そもそも自分に“自信”がなくて,それもあって“人見しり”する性格に。でも,身近な人に“笑って”もらったり,“教えて”あげたりして,少しでも“感謝”されることが自分の喜びになっていたということ。そして,“学ぶ”ということは“楽しい”ことなんだと気づかせてもらった経験を伝えたいという思いを持つにあたって,教師になりたいと自覚するようになったのだ。

 おそらく誰もが通る道で,もちろん僕にだけ特別なことではないことに,“自分って何”と思うことがあると思う。それは,思春期と言われる中学生のころに,多く経験するといわれている。僕も,たぶんにもれず,中学生の時に経験した。だんだんと,人との違いが分かるようになってきて,人の良さばかりに目が行って,自分のできないことばかりが目について,いったい自分は何なんだと思う時期。勉強だって,柔道だって,笑いだって,体のでかさだって,全部中途半端だった。人と比べて,自分が誇れるものなどないのではないかと思っていた。とうぜん,自分を好きになれないし,自信を持つなんてできないと思っていた。
 といっても,それを人前に出すわけではないので(ダサいから),ことさら明るく振る舞っていたと思う。そんななか,僕がやっていた自衛の手段は,キャラクターを作ることだったと思う。これも,特に,僕だけが特別なのではないだろう。“本当の自分”という,あるかどうかもわからない自分を水面下におしやるために,その場に応じた役割というのを前面に出す。教室では,ちょと斜に構えたキャラで。柔道部の部室では,お調子者のキャラで。塾ではしっかり者のキャラで。友だちといるときは,ツッコミキャラで。というような感じで,その場に応じたキャラクターを使い分けていた。
 で,そうやってやっていくうちに一つ気づいたことは,キャラとはいえ,それをやり続けていくついに,自分を変えることはできるのだということだった。お調子者のキャラは,僕のことをよく知ってくれている柔道部でこそ出せるキャラだけど,これを突き詰めていけば,別の場所でだって,お調子者のようにふるまえるはずだ。そうやって,徐々にだけど,自分がなりたいと思うようなキャラクターを自分の本質の部分に置き換えていけることができると思えるようになった。
 僕みたいに,自信がなくて,人見しりで,特に特技もない人間でも,好きな自分になれるのだ。
 中学生の時に,ふと思ったことだけど,それは,今の自分にとっても土台の考え方になっている。

 僕が教師になって,いつも目がいくのは,そういう子であり,そういう人たちだ。
 自信がない子。平凡だと思っていそうな子。目立たない子。困っているけど言い出せない子。子どもだけでなく,保護者もそう,先生もそう。いい意味でも,悪い意味でも目立っている子よりも,教室の中で空気のように過ごしている子たちに目がいってしまう。まあ,そんな子たちは,その子なりに考えることがあるわけだから,余計なお世話であるのだけれど,やっぱりなんとなく放っておけない感じになるのだ。

 僕は,今の自分がめちゃくちゃ大好きで,自信を持って過ごしているけど,君たちと同じ年頃の頃には,やっぱり悩んでいたし,やっぱり自身がなかったんよ。自分の力で乗り切るんだという熱い思いも持っていなかったし,いつでも全力だって熱血な感じでもなかったわ。でも,いろんな人の助けもあって,なんとかやっていけているんやわ。

 教師としての僕のバックボーンには,どうやら,教育に対する崇高なる理念というものは,あんまりないらしい。(今は少しはある。・・・が,それも自分の子どものためかもしれない。)
「教育を通して,世界を平和にする。」とか,「国家の大計として,立派な日本人を育てる。」とか,「子どもの可能性をどこまでも広げる」とか,「腐った教育界を俺が立て直す」とか,「キッキョンメソッドを打ち立てて,成功してやる。」といったものにかけている。
 一時期,このことで悩んだことがある。
「いったい僕は何のために教師をしているんだろう」
なんせ,会う人会う人が凄い人ばかりで,みんな自分の個性を生かしながら,確かな哲学を持って教育に臨んでいるのだ。僕はと言えば,「う~ん。楽しいから?」とか答えているような感じだった。
 でも,まあ,ようやくわかってきたことがある。
 僕は,「学ぶのは楽しい」「性格は変えることが出来る」「自分で無理なら助けてもらえばいい」ということを,自分の身近な人に「笑って」「教える」ことが,自分の存在価値だから,教師をしているのである。
 
 なんとも自分勝手な理由だが,自分の中ではえらくすっきりした気がする。
 僕の身近な人。僕の家族。僕の友だち。僕のクラスの子どもたち。僕の関わる学年の子・学校の子。僕の努める地域の人たち。そういった,自分の身近な人たちの,ほんの少しの支えになることができれば,自分がうれしいから教育をしている。

 中学生の時,それからモラトリアムを経験する大学生の時と,「自分とは何か」ということを考えさせられるときだった。30代の今というのも,「自分の教育とは」ということを,否応なく考えさせられる時である。
 僕の原点というのは,いかにも頼りなげで,あまりにもゆる~いものである。でも,それがはっきりとわかったことで,また一歩進んでいけるような気もする。
 なんにせよ,こうやって書くことで,自分の中ですっきりしたのだから,これはこれでよかったのだ。
 
 ということで,この気持ち悪い,自己への振り返りはここでおしまい。明日から,また一歩ずつ進んでいこうと思います。大変申しわけない内容に,お付き合いいただいた方がいたとすれば,本当に申し訳なく思います。

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