汗かき教師修行 10年 一所懸命 忍者ブログ
〜本物は続く 続けると本物になる〜
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サークルの旅行で”長野”は八ヶ岳へ。
そして,その前の週は家族でハワイへ。
というわけで,ハワイでゆったり読む本として,
「一路」を選びました。

あらすじ
父の不慮の死により家督を相続、交代寄合蒔坂家の御供頭として江戸への参勤を差配することになった小野寺一路、十九歳。二百年以上前に記された家伝の「行軍録」を唯一の手がかりに、古式に則った行列を仕立て、いざ江戸見参の道中へ。
 お役目を果たせなければ家禄召し上げという身で、一所懸命におのれの本分を全うしようとする一路。その前途に、真冬の中山道の難所が立ち塞がる。さらに行列の内部では、ひそかに御家乗っ取りの企みが......。
(https://www.chuko.co.jp/special/ichiro/arasuji.html)より

ちょうど,神戸から八ヶ岳まで中央道を車で走ります。
昔の”中山道”ですね。
中山道が舞台の小説ということで,今回の旅にぴったりです。
そして,読んでみると,僕の今の心境にビビビとくるところがたくさんありました。
その中から二つ。

「参勤交代の御行列は行軍なり」
何もわからず参勤交代のリーダーとなった主人公が唯一頼りにしたのは,家伝の「行軍録」。ここには,200年以上前,つまり参勤交代がまだはじまったばかりの頃に記された,参勤交代の心得が書かれていた。200年前の心得など,形骸化していた参勤交代には何の役にも立たない。それでも,頼みにするのはこれしかないということで,古式に乗っ取った,「行軍」をすることになる。
ところが,行事としての参勤交代を,有事の際の「行軍」として行うことで,御供頭の主人公だけでなく,配下の武士たちやお殿様までもが,武士,武将として大切なことを見つけていく。
この「古式」に乗っ取った「行軍」というのが,何か,今の教育と重なっているように僕には感じた。
僕の授業はもちろん,周りの授業も,なんとなく「形式」化してしまっていて,そもそも「何のために」はじまったのかがわからないまま行われていることがママある。あいさつや礼,姿勢のようなものから,発問,板書,机間指導などの指導技術,教科書の配列のことも,学び合いや話し合いも・・・。どれも,「こうしておけばいいんでしょ」という,「やったふり」の授業がすすめられているのではないか。
実は,今も残っている教育の様々な部分は,先人たちが残してくれた立派な「型」なのではないかと思う。参勤交代の様々な儀礼は,「行軍」であるというそもそもが抜けてしまうと,とても滑稽で無意味なものに見える。しかし,有事に江戸に駆けつけるための,「型」ととらえれば,理にかなった方法になる。
今の教育の問題に向かっていくにあたって,「何のために」やっていることなのかをもう一度見直す必要がある。バカらしく,不合理に見えて,形骸化しているものも,本来の意味に照らし合わせてみれば,今でも十分役立つものかもしれない。むしろ,今だからこそ,それが残っている意味をとらえることができれば,本当に教育に必要なものかもしれない。
「参勤交代の御行列は行軍なり」
「一斉授業の発問は◯◯なり」

未熟な僕にはよくわからないけど,課題山積の参勤交代のような,課題山積の授業の中で,その答えを見つけていきたい。

「御供頭心得 一所懸命」
主人公の一路も,お殿様も,関所の役人も,お姫様付きの女中も,出てくる人物がみんなみんな,自分の役割を必死に果たそうとする。敵役の叔父だって,しっかり悪役としての役割を果たす。小説なのだからあたりまえのことかもしれないが,それでもリアルに感じてしまう。お殿様は,「大義じゃ」しか言えない。言えば,大事になるから。だから,言いたいことも我慢して,ただただ「大義じゃ」と繰り返す。お供頭は,2年に一度の参勤交代を差配する。
それぞれが,自分の役割を果たす。しかし,その役割を果たすのが,ただの仕事としてやるのか,自身のプライドにかけてするのか。覚悟が違う。「古式」にのっとって,参勤交代をしていく中で,一人ひとりが自分の役割を「こなす」のではなく「果たす」ように変わっていく。その役割を果たそうとする武士たちを見て,そこに関わる周囲の人間も,自分の役割を「果たす」ようになる。

自分の役割をふまえること。「一所」
役割を果たそうとすること。「懸命」

このお話の登場人物たちは,「行軍」であるという目的を思い出し,自分たちが「武士」であるということの意味に気づいた時,自分の役割である「一所」をただこなすのではなく,「懸命」に果たそうとする。

さて,翻って僕は,どうだろう?
僕にとっての「一所」とは何か。
「一所」も守らないままに,やたらと周りに広げていってはいないだろうか。自分の手の届く範囲も守れていないのに,自分の足下も見れていないのに,いったいどこに向かおうとしているのか。
そして,「一所」に対して,果たして「懸命」になれているだろうか?
ただただ,「こなす」だけで,本気で向き合うだけのことができているか?
「御供頭心得 一所懸命」
「小学校教諭心得 一所懸命」

小学校教諭としての,「一所」を「懸命」にすること。

僕は,この本を読んで,そんなことを考えました。
この本を読んで,よかったです。(笑)

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